「腹を決めろ!決めたら事は一気に動いていくから。」
このような言葉を言われ続けて3.4ヶ月。
自分では腹を決めたつもりでいた。今思えば、きっと腹を決めるということが理解できていなかったと思う。
先日、ようやく本当の意味で腹を決めれたと思う。自分の1年後、2年後、5年後、10年後の人生に向かって今どうするべきかを決めた。
腹を決めたことで確かに自分の行動が変化した。やらなければならないことも変化した。期待されることも変化していくだろう。師匠が言いたかったことはこういうことなのだろう。
腹を決めること。確固たる決意をすること。
目標へ向かって具体的に行動を起こすことに繋がった。しかし、同時に不安で押しつぶされそうになる・・・。初めて眠れないくらいの怖さを感じた・・・孤独を感じた・・・心が折れそうにもなる・・・。
もう一度、目的を振り返ろう。誰の為に、何の為に起業するのか?
鳥取県民の幸せの為。鳥取県の福祉サービスの質を向上させる為。その結果、理想的なサービスを行う事業所のモデルになること。それは後々全国の、いや世界の人に影響を与える。
これが僕の理念だ。
心が折れそうになった時に、支えてくれるのはこの信念と仲間だ。仲間に感謝・・・。
2011年4月30日土曜日
2011年4月29日金曜日
忘れたくない利用者さん
今日、ずっと担当させていただいていた利用者さんが亡くなった。
脳出血だった。
様子がおかしいと受診してもらって、即入院となって2日目だった。
かなりオリジナリティがあり多少気難しいところはあるが、明るくて皆に元気を与えてくれる方だった。
毎回、その日稼いだ施設内通貨を使って僕にコーヒーをご馳走してくれた。
僕は何ができただろう?
幸せだっただろうか?
もっとできたことがあったのではないだろうか?
この方がやりたいことはできただろうか?
いつも・・・利用者さんが亡くなるたびに頭に浮かんでくる・・・。
人は作業的存在だ。作業をしながら生きている。
その人の人生を物語るもの、それが作業だ。
その人にとって大切な作業をすることで幸せになる。
その時にしかできない作業がある。
その時にやらなければいけない作業がある。
妥協せずやり続けること。
それが僕にできること。
脳出血だった。
様子がおかしいと受診してもらって、即入院となって2日目だった。
かなりオリジナリティがあり多少気難しいところはあるが、明るくて皆に元気を与えてくれる方だった。
毎回、その日稼いだ施設内通貨を使って僕にコーヒーをご馳走してくれた。
僕は何ができただろう?
幸せだっただろうか?
もっとできたことがあったのではないだろうか?
この方がやりたいことはできただろうか?
いつも・・・利用者さんが亡くなるたびに頭に浮かんでくる・・・。
人は作業的存在だ。作業をしながら生きている。
その人の人生を物語るもの、それが作業だ。
その人にとって大切な作業をすることで幸せになる。
その時にしかできない作業がある。
その時にやらなければいけない作業がある。
妥協せずやり続けること。
それが僕にできること。
2011年4月24日日曜日
維持期とは
先日、あるクライエント(Aさん)と担当の学生と三人で個別リハビリテーションを行いながら話をしていた。
Aさん:「急性期、回復期ってあるでしょ?ここは何期かって学生に聞いたら維持期だって。維持期ってどんなところ?」
僕:「Aさん、急性期ではどんなことをやりました?」
Aさん:「OTはマッサージ。PTは歩けるようになる練習。それと、OTは手、PTは足かな。」
僕:「なるほど。では回復期ではどんなことをやりました?」
Aさん「PTはひたすら歩いた。OTは洋服を着たり脱いだりする練習をしたかな。ズボンを脱いだりとか。」
僕:「なるほどー!急性期では起き上がったり歩いたりなど、動く為に必要な練習をして、回復期ではご自宅に帰る為の準備として日常生活の練習をされたのですかね?」
Aさん:「そうだね。」
僕:「では、維持期と呼ばれるこれからは何をするところだと思います?何が必要だと感じますか?」
Aさん:「んー!なんだろう?わからないな・・・。もっとできることを増やすことかな?」
僕:「僕が考えているのは、これからの時期はAさんが考える、Aさんらしい生活を送れるようにするための期間だということです。だから、僕は維持期ではなく、人生の輝きを取り戻す期だと思っています。」
Aさんは、笑いながらもしっかりとした目で聴いてくれた。
あなたはどんなことをしたいですか?しなければならないですか?何を周りの人から期待されていますか?
あなたらしい人生を歩んでもらう為に、僕は問い続ける。
ADOC!
Aさん:「急性期、回復期ってあるでしょ?ここは何期かって学生に聞いたら維持期だって。維持期ってどんなところ?」
僕:「Aさん、急性期ではどんなことをやりました?」
Aさん:「OTはマッサージ。PTは歩けるようになる練習。それと、OTは手、PTは足かな。」
僕:「なるほど。では回復期ではどんなことをやりました?」
Aさん「PTはひたすら歩いた。OTは洋服を着たり脱いだりする練習をしたかな。ズボンを脱いだりとか。」
僕:「なるほどー!急性期では起き上がったり歩いたりなど、動く為に必要な練習をして、回復期ではご自宅に帰る為の準備として日常生活の練習をされたのですかね?」
Aさん:「そうだね。」
僕:「では、維持期と呼ばれるこれからは何をするところだと思います?何が必要だと感じますか?」
Aさん:「んー!なんだろう?わからないな・・・。もっとできることを増やすことかな?」
僕:「僕が考えているのは、これからの時期はAさんが考える、Aさんらしい生活を送れるようにするための期間だということです。だから、僕は維持期ではなく、人生の輝きを取り戻す期だと思っています。」
Aさんは、笑いながらもしっかりとした目で聴いてくれた。
あなたはどんなことをしたいですか?しなければならないですか?何を周りの人から期待されていますか?
あなたらしい人生を歩んでもらう為に、僕は問い続ける。
ADOC!
2011年4月23日土曜日
想いのこもった茶碗
2011年4月21日木曜日
万里の道も一歩から
でっかい夢のことばかり考えていて
その為に、目の前の小さなことだけど大切な生活のことに目が向いていなかった・・・
焦っていた自分に気づく。そして自分のことしか考えていなかった自分に気づく。
まずは一歩から。
小さな一歩だけど着実に、しっかりと踏み出し続けよう。
皆が幸せになれるように。
その為に、目の前の小さなことだけど大切な生活のことに目が向いていなかった・・・
焦っていた自分に気づく。そして自分のことしか考えていなかった自分に気づく。
まずは一歩から。
小さな一歩だけど着実に、しっかりと踏み出し続けよう。
皆が幸せになれるように。
2011年4月18日月曜日
人生の決定権は誰に?
今日ミーティングでケアマネから議題があがった。内容はある利用者の入浴について。この利用者Aさんは認知症を呈されており、入浴をすごい勢いで拒否をする方だ。週4回当施設を利用されており、毎回入浴をしている。その都度スタッフはAさんに罵声をあびせられ、時には暴力を受けながらなんとか入浴をしてもらっている。スタッフもAさんにストレスがかからないように工夫をしているようだが、Aさんの拒否は変わらないようだ。スタッフも葛藤があるのだろう。ここまでAさんにストレスをかけてまで毎回入浴する必要があるのだろうか?1回減らせばAさんのストレスを減らせるのではないかと・・・。そこで、スタッフがケアマネに身体の衛生を保つことが目的であれば、週に3回でも良いのではないかという提案をしたようだ。ケアマネの意見は「Aさんはお嫁さんと一緒に住んでいる。お嫁さんは介護負担が大きく入浴を自宅でするのは無理だと言っている。Aさんは失禁することもあるので、お嫁さんの意向は衛生を保つ為に毎回入浴して欲しいということだ。」ということであった。そこでケアマネはもっと工夫をしてAさんのストレスが少ない状態で毎回入浴をする努力をして欲しい。入浴を減らせというのは間違っている。皆はどう思うのか?ということだった。スタッフはAさんのことを想って出した意見。ケアマネは家族を想って出した意見。両方が利用者さん・家族のことを考えており正しいと思う。しかし、お互いが肝心なことを忘れている。そう、お互いの結果には利用者が不在だ。僕たちは様々な提案をするし、様々な選択肢を提示する。しかし、決定するのはクライエント本人であり、その家族だ。僕たちにはクライエントとその家族の人生を決める権利は無い。今回も、家族を含め話し合わない限り結論は出ない。そのことをケアマネとスタッフに伝えた。 家族はより健康になって欲しいという理由で、あなたにマラソンをして欲しいと言う。家族は事業所にも毎回マラソンをさして欲しいとお願いをする。事業所はそれを聞き入れ、毎回あなたにどうにかマラソンをしてもらおうと一生懸命になる。こういう状況にあったとしたら、あなたは毎回マラソンをしますか?他の方法を考えたり、健康を維持する最低限の頻度を家族と話し合って考えたりしませんか?ケアマネにこの例を挙げたら、マラソンは入浴と違って生活に関係ない!と跳ね返された。例が悪すぎたか・・・。反省・・・。もっとわかりやすい例を考えよう・・・・・。
2011年4月16日土曜日
草刈りという作業
先月末から利用されているAさん。認知症を呈されている。
動いていないと落ち着かないようで、ずっと動き回っている。タバコを吸いに行ったり、花を見に行ったり・・・。環境の変化に対する不安もあって、当施設を利用する理由も娘が勝手に申し込んだと話されていた。そんなAさんに対して何ができるかを考えていた。
Aさんの作業歴を聴いていくと、軍で献立を考える仕事をされており、市町村役場に頼まれて一般の方に栄養に関する講習会を開いたほどプロフェッショナルだったようだ。その仕事を定年退職された後は、職業訓練校に通い、造園に関する技術と知識を取得し、10数年知り合いの造園業を手伝っていたということだった。
長い間、仕事に打ち込んでこられた様子をしっかりとした口調で僕に伝えた。
仕事を辞められてからは、自宅にいることが多くなり、楽しみは盆栽だけだ。
自宅では息子と妻の3人で暮らされている。その妻も認知症を呈されていることもあって、夫婦の折り合いは悪いということだった。いつも喧嘩ばかりで家には居場所が無いようだった。
僕は、当施設前の通りに並んでいる花壇が草だらけになっていることをAさんに話し、市民の為に通りを花でいっぱいにしませんか?と提案した。
するとAさんは、「いいですよ。やろう!しかし、その前に自分たちの建物の草を刈ったらどう?それをまず手伝うよ。」と話された。
さすがプロ!目の付け所が違うなと納得。まずは、うちの施設の草刈りをお願いした。
すると、あれだけ利用することに拒否的だったAさんは、利用日の前々日から「草刈りの用意をしているから迎えに来てね。」と電話されるほどに変化した。曜日の認識はさておき、ここでも作業の効果。
そして今日、草刈りの日となった。ベルト式のハサミ入れを腰に巻き、専用の帽子をかぶって午前中から担当のOTSと共に大量の草と格闘した。休憩を随時入れながら、結局午後の3時まで草刈りを行った。Aさんは額の汗をぬぐいながら、OTSと共に本当にきれいにしてくれた。さすがプロの仕事だった。
現場を見に来たスタッフ・利用者さんから次々と賞賛の声が聞かれるほどだった。
僕は、手伝いながらAさんに聞いてみた。「Aさんにとって仕事とはどういうものですか?」Aさんははっきりと答えた。「仕事は生きがいだよ!」
「次は市民の為に、通りをやりますか!」という僕の声に、Aさんは「いいですよ。やりましょう!」とはっきりと答えられた。
Aさんは、草刈りという作業を当施設のスタッフ・利用者さんの為に行うこと(仕事)で役割を得、居場所を確立したのだろう。
医学的に見るならAさんはただ徘徊をするひとで終わっていたのかもしれない。しかし、Aさんの作業に焦点を当てることによって、Aさんのキラキラ輝く姿を見ることができた。
これから地域の資源とコラボレーションをして、Aさんが社会貢献していくことをイメージしている。
Aさんの介入に対する僕なりのリーズニングをOTSに伝え、「これぞ作業療法!っていう本当に素敵な作業療法をしたね。」と伝えた。きっとOTSにも作業療法の魅力が伝わったことだろう・・・。だといいな。
2011年4月13日水曜日
医学モデルという障壁
現在1名の実習生を担当している。フィードバック中、その実習生からの質問。「全利用者さんの疾患を知りたいのですが、教えてください。」良くある質問だ。決まって僕は答えるようにしている。「なぜ疾患を知りたいの?知ることでどのように活かされるかを教えて欲しい。」作業療法士は作業に焦点を当てる。クライエントの作業ニードを聴き、その作業の可能化の為に介入する。そこに脊損だとかCVAだとか精神疾患だとかは関係ない。もちろん作業可能化の為の一要素としては知っておかなければならないかもしれないが、疾患が優先してしまってはいけない。疾患ありきで、人を評価してしまう可能性が高いからだ。実習生の頃、よく師匠に言われた。「『右片麻痺のAさんじゃない、Aさんは右片麻痺という障がいをお持ちだ。』という見方をしよう。」人を見るという視点を忘れてはいけない。きっと学校で習った疾患別の障がい像に当てはめることで、利用者さん方を理解していこうとしたのだと思う。しかし、疾患を通してわかることなんて、クライエントを構成する一要素でしかない。その一要素に目を奪われて、本当に大切なスピリチュアルの部分を見失ってしまったら、作業療法とは言えないと僕は考えている。基礎を中心に教えている学校側にとって、また国家試験をどうしても意識しなければならない学校側にとって、これをしっかりと学生に伝えることは難しいことなのかもしれない。だとすると、尚更実習中に強く伝える必要性があると僕は考えている。実習の中で、クライエントを通してのみしか、経験することができないのだから。実習生は困惑しながらも納得したと話していた。うまく伝わっているといいな・・・・・。
2011年4月10日日曜日
僕は無印良品の桜紅茶が好きだ。
1ヶ月ほど前から飲み始めてすごく気に入っている。
沖縄では花見のときに他県のように桜の木の下で飲み食いをしない。
沖縄に出てきて6年間、花見は車の中からのみとなって少し寂しい気持ちがしていた。
そんな中、見つけた桜紅茶。少しでも花見気分を味わおうと購入。
飲んでみると、懐かしい桜の匂いが・・・。地元でたくさん友達と行った花見を思い出す。味も美味しいが、そんな想い出たちがさらに美味しさを与えてくれているのだろう。
僕にとっての「桜紅茶を飲むという作業」は、今では友達との繋がりを意識し、癒しの時間をくれるという意味を持っている。
クライエントに作業の意味を聴くこと・・・それはクライエントが大切にしている作業を獲得するために必要なこと。
だって、僕と誰かとでは桜紅茶を飲む意味が違うし、どんな風に飲みたいかが違うはずだから。
クライエントの作業に焦点を当てることの重要性を再確認し続ける日々。
2011年4月1日金曜日
作業療法士国家試験
昨日、作業療法士国家試験の発表でした。合格された皆様、おめでとうございます。早いもので、僕が作業療法士になってから満6年が経ちました。利用者さんが皆で合格を祝ってくれたのがつい最近のようです。あれから6年、素敵なOTの先輩方とクライエントに支えられて、影響を受けて、ただがむしゃらにやってきました。その中で見えてきたOTの核。そしてOTの楽しさ、やりがい。このOTとして働いた6年間を振り返って感じることは・・・・・OTの核やアイデンティティを確立するために素敵なOTとたくさん出会い、たくさん語り、そして勉強し、実践することです。
そうした実践の中で、OTの楽しさ、やりがいをクライエントが与えてくれます。
つまり、やりがいをもってOTをするためには、クライエントのために勉強し、クライエントのために動くことだと思います。
新作業療法士の皆様、すぐに「向いていない」と諦めるのではなく、目の前のクライエントに対して真剣に向き合い続けてみてください。結果は必ずついてきます。
最後に先輩から教わった言葉。
「理論なき実践は暴力、実践なき理論は妄想」
自分に言い聞かせています。
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