2011年4月18日月曜日

人生の決定権は誰に?

今日ミーティングでケアマネから議題があがった。内容はある利用者の入浴について。この利用者Aさんは認知症を呈されており、入浴をすごい勢いで拒否をする方だ。週4回当施設を利用されており、毎回入浴をしている。その都度スタッフはAさんに罵声をあびせられ、時には暴力を受けながらなんとか入浴をしてもらっている。スタッフもAさんにストレスがかからないように工夫をしているようだが、Aさんの拒否は変わらないようだ。スタッフも葛藤があるのだろう。ここまでAさんにストレスをかけてまで毎回入浴する必要があるのだろうか?1回減らせばAさんのストレスを減らせるのではないかと・・・。そこで、スタッフがケアマネに身体の衛生を保つことが目的であれば、週に3回でも良いのではないかという提案をしたようだ。ケアマネの意見は「Aさんはお嫁さんと一緒に住んでいる。お嫁さんは介護負担が大きく入浴を自宅でするのは無理だと言っている。Aさんは失禁することもあるので、お嫁さんの意向は衛生を保つ為に毎回入浴して欲しいということだ。」ということであった。そこでケアマネはもっと工夫をしてAさんのストレスが少ない状態で毎回入浴をする努力をして欲しい。入浴を減らせというのは間違っている。皆はどう思うのか?ということだった。スタッフはAさんのことを想って出した意見。ケアマネは家族を想って出した意見。両方が利用者さん・家族のことを考えており正しいと思う。しかし、お互いが肝心なことを忘れている。そう、お互いの結果には利用者が不在だ。僕たちは様々な提案をするし、様々な選択肢を提示する。しかし、決定するのはクライエント本人であり、その家族だ。僕たちにはクライエントとその家族の人生を決める権利は無い。今回も、家族を含め話し合わない限り結論は出ない。そのことをケアマネとスタッフに伝えた。 家族はより健康になって欲しいという理由で、あなたにマラソンをして欲しいと言う。家族は事業所にも毎回マラソンをさして欲しいとお願いをする。事業所はそれを聞き入れ、毎回あなたにどうにかマラソンをしてもらおうと一生懸命になる。こういう状況にあったとしたら、あなたは毎回マラソンをしますか?他の方法を考えたり、健康を維持する最低限の頻度を家族と話し合って考えたりしませんか?ケアマネにこの例を挙げたら、マラソンは入浴と違って生活に関係ない!と跳ね返された。例が悪すぎたか・・・。反省・・・。もっとわかりやすい例を考えよう・・・・・。

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