2011年8月28日日曜日

作業的公正の障壁(サーフィン前編)

強い想いは社会を変えることを教えてくれた事例

僕は初めて利用される方の初期評価でCOPMをとるようにしている。

そのCOPMの中で彼は僕にこう伝えた。「サーフィンがしたい。」

失語症の影響でなかなか上手く言葉が出てこない中、彼は一生懸命伝えた。

「僕はサーファーだから、サーフィンがしたい。」

その他の作業名は聞けども聞けども出てこなかった。


なぜそこまでサーフィンにこだわるのかを知りたくて、僕は送迎の帰りに彼の指示する海へと向かった。


着いた海で彼から色々な話を聞いた。彼はレストランのウェイターを昼間して、夜はBarを経営していたこと、そのBarの仕事の途中に、店を友達に任せて毎日サーフィンに行っていたことなど。また、ここの海でサーフィンをしている途中に発症して死にかけたこと、だからこの海でもう一度サーフィンをしてリベンジしたいこと、リベンジ出来ることが治ったと感じられることなどを語った。



このような彼の語りを聴き、彼が自分らしさを取り戻す唯一の作業が「サーフィン」であることを確認し、僕達2人は海に向かって「絶対帰ってきてやる!」と叫び、誓って帰路についた。


彼にとってサーフィンという作業の大切さを確認したは良いものの、彼の環境はサーフィンを行うには難しいものであった。当時、彼は有料老人ホームで暮らしていた。そこでは、スタッフもDrも皆がサーフィンをしたいという話に聴く耳をもたなかった。さらにDrは海に1人で行く可能性があるから、なるべく海から遠ざけるように指示していた。

僕は彼の背景を知るたびに、彼は現在、作業剥奪の状態にあることを知っていった。

やりたいことを遠ざけられ、タブー化されていくたびに、彼はサーフィンへの想いを強くし、周りの作業に目が向けられにくくなっていったのだと理解した。

そのような彼の背景を見たとき、尚更作業的公正な社会を創る為にも、僕は彼と海に行くことを心に決めた。

休日に僕の話に賛同してくれた有志達と共に彼を連れて海に行った。彼の住んでいる有料老人ホームにはもちろん内緒で。(僕達の素敵な上司はもちろん了解してくれた。)

最初は恐る恐る海に入っていたのだが、さすがサーファー!少し浮かぶ練習をしただけですぐに慣れていった。

彼のとても生き生きとした真剣な表情は忘れられない。


長いので後編へ続く。
写真は彼とサーフィンに賛同してくれた有志たち。カメラマンも有志の1人である。









2011年8月23日火曜日

全島エイサー大会

全島エイサー大会に行ってきました。大切な仲間達と。

仲間といれる幸せ

仲間が僕を想い集まってくれる幸せを心底感じて、感無量でした。


いつもと違った全島エイサー大会。一生忘れられない想い出となりました。

師匠に感謝、仲間に感謝、皆との繋がりに感謝、皆のに感謝。

2011年8月6日土曜日

ごきげん実習=OBP

現在、僕が担当している実習生2人。

僕が意識して伝えたいことはトップダウンの評価のことと、OBPの介入のこと。

僕にはまだまだ上手く伝える技術はないが、2人は一生懸命感じ取り、受け取ってくれている。

今週で実習が終わる学生Nさんの介入。

担当のKさん、母親想いで優しい性格の方である。

発症以前は仕事が終わると友人と居酒屋に飲みに行ったり、休日には趣味のガンダムのプラモデル作りを行っていたそうだ。

40代前半で発症されて、それ以後は母親の介護負担の軽減の為、母親の期待に応える為にADLの自立と歩行の安定を目標に機能訓練に取り組んできた。発症されて2年くらいである。

最近ではADLが概ね自立し、歩行も大分安定したので、母親も趣味のグランドゴルフに出かけられるようになっている。Kさんの現在の生活はというと、仕事・余暇はなく1日のほとんどをぼーっとテレビを見て過ごしている状態であった。

作業バランスの視点で見ると、発症前後のKさんはADL・仕事・余暇・休息のバランスが崩れ、ADLと休息に偏っていた。

そんな中、Nさんの介入が始まった。

まずはADOCで作業ニードの確認。すると屋外歩行、友人との交流、趣味活動の再開が出てきた。

Kさんの作業バランスを考えた上で余暇活動を再獲得することを目的にガンダムのプラモデル作りの介入を行った。もちろん屋内・外歩行練習も行いながら。

これまで受動的だったKさんがプラモデルを行うようになってから、主体的に動き始めた。

わからないところはNさんに聞く姿も見られ始めた。Kさんがエンパワメントされた結果だと思う。

そんなKさんの笑顔とガンダム





続きまして2人目の実習生Tさん

担当ケースMさん。左片麻痺を呈されている。
ADLは自立・歩行もT字杖にて自立されている。

Mさんは発症以前、編み物を趣味としていたが、発症後に片手で試みたところ出来なかった経験から現在は行われていなかった。

ここからTさんの介入が始まった。

学生TさんがCOPMをとり、Mさんと共に決めた優先順位の1位がもう一度編み物をすることだった。

Mさんの趣味の再獲得を目指し、片手で編み物をする方法をTさんは一生懸命考え、そして調べた。その結果、写真にある片手で編み物が出来る自助具を作成した。

Mさんは「涙が出るくらい嬉しい」と話されていた。

そんな姿を見た僕も胸いっぱいになった。

本当に2人とも素晴らしい作業療法の介入をしてくれている。

作業はひとを幸せにし、健康にする。

2人はそれを実感し、しっかり受け取ってくれていると思う。

そんなひとりひとりの「作業」がごきげんにもっとたくさん溢れるように頑張っていこう。

2人の頑張りに感謝。

2011年8月1日月曜日

作業的挑戦の協業

11月6日、人生初のマラソン大会に参加することが決定しました。
距離は3キロ!
短いと思われるでしょうが、今回の大会には大きな目的があるのです。
それは、元通所リハ、現在外来の利用者さんであるKさんと一緒にチャレンジするからです。提案はKさんの方からありました。
高校野球好きなKさんは発症してから、大好きな高校野球は観戦に行くものの片麻痺になった自分の姿を友人に見られたくない、友人に気を遣わせたくないという理由から友人と会わないような場所で観戦していました。
先日も同じように目立たない場所で観戦していたそうです。しかし、トイレに行ったときに偶然友人と出会い話をしたそうです。その夜は当時の高校球児仲間を集めて飲み会をしたそうです。
Kさんは高校時代身体能力がとても高く、甲子園に出場した高校からも誘われるぐらい上手だったそうです。そんなKさんの武勇伝等を友人と共に涙を流しながら語り合ったそうです。
その友人との語りの中で、Kさんはもう一度仲間にチャレンジする姿を見せたい!と思ったそうです。
そのチャレンジに選んだのがマラソンでした。
きっとKさんは、高校球児として共に頑張った仲間達に囲まれ、繋がる中で、片麻痺になって少し劣等感を感じていたことにKさん自身が気付いたのではないでしょうか。だから、もう一度何かに打ち込み、頑張る自分を取り戻すことによって後ろめたさを持たずに、堂々と友人達との輪の中に戻れると感じたのではないでしょうか。
Kさんの作業的挑戦に立ち会えることがとても幸せです。
きっとこの作業的挑戦によって、友人との交流など社会との繋がりがより強化されることでしょう。
楽しみです。僕もしっかり練習しなくては・・・。