2011年6月26日日曜日

ADOCプロジェクト



24日~26日まで全国作業療法学会に参加していた。





今回、ADOCプロジェクトメンバーの発表が9演題という僕の中で改革的な学会だった。






ADOCメンバーの発表は全員大盛況。やはり多くのOTは作業に焦点を当てた介入の重要性を認識しながら、実行する方法について悩んでいるのだろう。






ADOCが目指すのは、「クライエントがやりたい作業を言えるようになること」「作業療法士が活き活きと働くことができるようになること」、このような社会だ。






そんな素敵なADOCのプロジェクトメンバーは本当に素敵なひとたちばかりだった。クライエント中心を実践しているひとたちばかりだった。作業に焦点を当てた作業療法を行っているひとたちばかりだった。






僕はメンバーからもらった情熱を忘れない。

2011年6月20日月曜日

患者役割

先日、うちの利用者さん(Aさん)が入院している病院にお見舞いに行った。

僕が伺ったとき、Aさんは車椅子に乗ってラジオを聞いていた。

「退院にはもう少しかかりそうだ。」と話しながらも、とても元気そうな声と笑顔に安心した。

様々な会話をした後、Aさんが休む時間になったのでそろそろ帰ろうかと思ったとき、ふとベッドが目に入った。ベッド柵2個が繋げられてベッドに装着されている。

どうやってAさんはベッドに移るのだろう・・・。

Aさんにどうしているのかを聞いてみると、ベッド⇔車椅子への乗り移るときは職員を呼んでいるとのことだった。

Aさんは「自分で乗り移りできるって言ったんだけどね。危ないから必ず呼んでと言われている。トイレも呼んでからでないとできないよ・・・。」と話されていた。

僕は「Aさんの乗り移りをリハビリスタッフは評価しませんか?」と聞くと、「看護師と介護士の人がやってくれるよ。」と話された。

実際のところどうなのかはわからないが、この状況を病院のセラピスト・・・いや、職員はどのように捉えているのだろうか。

事実はわからないので、しっかり評価した結果このようにしているのかもしれないが、本人の同意を得ていないのは確かだ。

セラピストは毎日しっかり評価を行い、1人で出来るように試行錯誤して欲しい・・・いや!するべきだとさえ思う。

特にOTはAさんが作業剥奪の状態にあることに気づき、どうにかしようともがいて欲しい。Aさんの声を聴いて欲しい。Aさんに患者役割を押し付けている状況にあることを認識して欲しい。

Aさんには、主体的な生活者としての役割を持ち続けて欲しい。

2011年6月19日日曜日

近況報告

金曜日に有休を0.25日もらって、新規事業所の相談に師匠と保健所に行った。

まだ完成されたものではないが、事業計画書や施設の情報などをもって乗り込んだ。

第1回目の相談ということで、事業計画書などの確認事項が多かったが、師匠の緊張感はものすごく伝わってきた。僕も自分の将来を思い浮かべながら気合を入れて聞いていた。

ひと通り内容を確認し終わった後に、相談員は作業療法士も出来るか?という質問を師匠が投げかけた。

保健所の方の答えは「出来ない」だった。

この前まで、出来るってことだったと思うけど・・・。

出来る資格があるのは、社会福祉士(主事)や介護福祉士などだそうだ。社会福祉主事は文系の大学を卒業していたらだいたい取れているようだ。

師匠と共に少し諦めかけたが、屁理屈家の僕はどうしても納得がいかなかった。専門学校でも大学と同じくらい福祉関係の科目は受講していると思ったからだ。さらにうちの学校は大学卒と同等の認識が得られる高度専門士の称号を得た専門学校だ。何がどう違うのか?むしろ文系の大学卒業生より、僕らの方が介護・福祉業界では専門的なはずなのに・・・。専門学校舐めてもらっちゃ困りますよーーー!

なるべく優しく優しく伝えることを意識しながら、高度専門士の称号を得た専門学校であることを説明し、それでも不可能かどうかを確認してみた。

すると・・・学校等で厚生労働省が規定する数10科目の中から3科目以上受講していたら認められるらしい。

やっぱりなー!全然認められるじゃないっすかー!同じ介護・福祉業界で働くSW・CWが出来てOT・PTが出来ないっていう規定はおかしすぎでしょー。

ということで、僕の負けず嫌いが珍しく役に立ったという出来事だった。少しでも役に立ててほっとした。

今回のこともそうだが、最近の休みの日などはずっと事業計画書の作成や事業の内容の話し合いに参加させていただいている。将来のことに直接繋がることであるし、師匠の役に立てることでもあるのですごくやりがいがある。

具体的には、事業計画書に必要な新規事業所を設立して成り立つ根拠(周辺地域の事業所数や定員人数・実績の人数・セラピスト数、市の要介護認定者数・介護サービス受給者数、)などを後輩と共に集めたりなどをしている。

師匠の事業所を創る経験は、同時に鳥取プロジェクトのことを考えられる機会となる。出来る限りたくさんのことを経験させてもらう予定だし、師匠も鳥取のことを考えて全てを伝えてくれる。本当にありがたい。

立ち止まっている暇はない。突っ走るだけ。

プロジェクトメンバーへの近況報告も兼ねて。

2011年6月15日水曜日

健康



WHOは健康の定義を「健康とは、完全に、身体、精神、および社会的に良い(安寧な)状態であることを意味し、単に病気でないとか、虚弱でないということではない。」としている。






つまり、健康には、生活の満足と幸福感(well-being)が含まれている。






僕が学生さん等に健康について説明をする場合、五体不満足の著者である乙武さんを例に出させていただき、次のような質問を投げかける。






「乙武さんは、健康だと思いますか?」






すると、ほぼ全員の方が「健康」だと答える。






身体に障がいを抱えているのになぜ健康だと思うのだろうか?






問答を繰り返しているうちに、言葉は違えど大体の方と行き着く解答がある。それは「やりたいことをやっているように見えるから」だ。






この「クライエントがやりたいこと(そのひとにとって意味と価値があること)」を作業療法士は「作業」と表現する。






また、ひとはどのようにして生活の満足感を感じるのだろうか?どのようにして幸福感を感じるのだろうか?






あなたが満足と感じるときはいつですか?幸福感を感じるときはいつですか?友達と遊ぶとき?旅行をしているとき?ゆっくり休んでいるとき?・・・






それは、間違いなく「作業」をしているときだ。






そう!ひとにはそれぞれ満足を感じる作業、幸福を感じる作業があるのだ。






結局、「たとえ身体や精神に障がいがあろうとも、そのひとがそのひとらしい作業を行えていること」が健康ということだと僕は考える。






利用者さんが幸せになる、健康になる施設を創りたい。

2011年6月14日火曜日

ADOC

今月の24日~26日に開催される全国作業療法学会in埼玉で発表するスライドを作成している。

いつも追い込まれてからしか動けない自分・・・。

まーそれはそうと、内容は現在プロジェクトチームで作成中のADOC(作業選択意思決定支援ソフト)についてだ。

ADOCとは、ipadを使ってクライエントとイラストを見ながら「したいこと、しなければならないこと、より上手になりたいこと、周囲から期待されていることなど」目標設定をするツールだ。これを用いることによって、「麻痺した手を治したい」「もっと歩けるようになりたい」など漠然とした機能面の目標ではなく、クライエントが望む作業を目標とできる。作業が明確になるということは、ゴールが明確になるということだと思う。

手を治したい・・・(治るのなら良いが)それは、発症前と同じ状態を目指して一生訓練の人生にしてしまう可能性がある。しかし、作業が目標であれば、片麻痺であろうが、頚髄損傷であろうが、やり方の工夫によって作業を行うことはできる。

ずっと機能面に焦点を当てて、先が見えない機能訓練をし続けるよりも、自分のやりたいことをやって生きるほうが幸せなのではないかと僕は思う。病気になっていない僕が偉そうに言えないが、この想いは作業療法士としての信念だ。

今回、発表する方は16年前(40歳代)に発症されて、夫が遊び人だったために片麻痺の状態で娘4人(下の子が当時小学校低学年)を育てた方だ。退院後、娘を育てる為に試行錯誤しながら家事などを1人で行えるようになった。

初期評価での面接では、「身の回りのことはできているから、何もしたいことはない。」と話されていた。僕は、この方の生活歴(発症後の16年)によって、家事等に焦点を当てざるを得ない状況で、余暇などを考える余裕がなかった(だからイメージもできない)のではないかと思ってADOCを使用した。

すると、娘と行くドライブが好きなこと。娘と昔に旅行に行ったことが忘れられないこと。発症前は友人とよく外食をしていたが、発症後は友人の手を煩わせるのではないかという不安で16年間一度も友人と会っていないこと。しかし、友人とは今でも会いたいと思っていることがわかった。

片麻痺になって、16年間・・・自分の楽しみも忘れて家事が出来るようにと必死になって生きてきた事例(昔のリハビリでは、家事の練習などはほとんどされていなかったらしい。だから事例は自分で練習するしかなかった)。

これからは事例がやりたいと思うことに挑戦していって欲しい。出来るようになって欲しい。

現在は年に2回の県内旅行と週に2回の買い物に行けるようになっている。事例も満足だと話されている。

最終目標は、事例が自信を持って、また好きな時に友人達と外食すること。

クライエントの大切な作業を可能にする第一歩!        ADOC!!!

2011年6月8日水曜日

身体拘束の勉強会にて

昨日、職場で「身体拘束ゼロへ向けて」というテーマで全スタッフに向けて勉強会を行った。

身体拘束とは身体の自由を紐や拘束具で制限することだけを指しているわけではない。行動(範囲)を制限することも同時に意味している。

僕は、皆にこの身体拘束の定義を知ってもらい、日々行っているサービスを振り返って「これは身体拘束だったのかな?」などの話し合いが生まれてくることを目標としていた。

その為に、身体拘束を行っていた時代を経験し、身体拘束廃止運動に尽力されてきた大先輩のOTに相談し、拘束具などを拝借した。

そして、勉強会は皆の心に届くように体験型にした。

スタッフが座っている6個のテーブルから各1名ずつ代表者を出してもらい、車椅子に身体を固定されることを体験してもらった。

口頭での勉強会を30分くらい予定していたが、予想以上に熱くなり40分くらい話し続けた。一時間くらい経ったら体験者達は「腰が痛い」などの症状を訴えるだろうと予測していたが、40分でも充分きつくなるだろうと思って、話し終わった後、体験者達を探した。

すると・・・体験者達は拘束具を外して椅子に座りなおしていた。ずっと体験してくれたのは学生2人と通所リハのリーダーだけ・・・。6人いたはずが、スタッフ1人・・・
 
僕は呆れると共に、がっかりし・・・少し怒りもあったと思う。こんなにも伝わらないものか・・・。

しかし、終わってから1人の体験者から「足が痺れてきたから外したよ。」という話を聞いた。

なるほど!そういうこともあるのか!!!

途中で外した体験者達ひとりひとりになぜ外したかを問うべきだった。それが一番リアルな声だったはずなのに・・・。

自分の人間の小ささにがっかりだ。皆を信じられていない自分にもがっかりだ。反省してもしたりない。僕には「こんなに一生懸命やったのに」というおごりがあったのだと思う。

まだまだガキです。

頼れる大人に成長します!必ず!!!

プロジェクトメンバーに誓います。

2011年6月5日日曜日

自分らしさ

担当さしていただいている70歳代女性Aさん。

個別リハビリをしながらAさんの人生史を聴いていた。

20代で結婚して6人子どもを授かった。

しかし、夫は昔から遊び人だったようで、1人目の子が産まれてからすぐよそに愛人を作ってほとんど帰ってこなくなった。さらに驚くことに夫は生活費・教育費など、一銭も家庭に入れない人だったそうだ。

生活や子どもにかかるお金は全てAさんが稼いでいた。仕事はラブホテルの受付を夕方8:00から朝の5:00まで行い、その帰りに新聞配達をしていた。おうちに着くとすぐ子どもの弁当を作り、子どもを送り出した後は掃除洗濯を毎日行った。睡眠時間は毎日2時間だった。

1度だけ夫に子どもの教育費だけは入れて欲しいと頭を下げたそうだが、断られたということだった(その後はさすがに怒って、棒を振り回して家から夫を追い出したらしい。素晴らしい!)。

さらに、認知症になり入院生活を送っていた義母をの世話をする為に病院に寝泊りもしたそうだ。

Aさんのすごさは留まるところを知らず、病院に寝泊りしている時に、看護師に混ざって入院患者の入浴介助をしたり、トイレ掃除をボランティアでやっていたということだった。入浴介助は入院患者に頼まれたからやったそうだ。頼まれた理由は、「看護師よりも丁寧に洗ってくれるから。」だったらしい。

ここまでの話を聴いて僕はAさんが天使だとしか思えなかった。こんなにもホスピタリティに溢れている人がいるなんて・・・。いや!もう1人僕は知っている。この方も僕が担当させていただいた利用者さんだ。昔の女性はかくもこう強いのか・・・。

そんな僕の感動はさておき、僕はAさんに「どうしてお仕事をしながら、大変な中ボランティアでそこまで人に尽くせるんですか?夫も信じられないくらいひどい状態で、苦しくなりませんでしたか?」と聴いた。

するとAさんは「大変だったけど、苦しくはなかったよ。頼まれたことだしさ。私は義母が亡くなって仕事は定年した後、地域で1人暮らしをしている老人の家をまわって、ボランティアで掃除とかの手伝いをしようと考えていたのよ。この病気になってしまったから出来てないけどね。」と答えた。

僕:「Aさんはボランティアをやるなかで、どんなことがやりがいだったり楽しみだったりしたのですか?」

Aさん「人が喜んでくれるからかな。誰かの為にやることが好きだから。」

ここで僕は、いつかごきげんで出来たらいいなと思っていたことを実現できると思って、口に出してみた。

僕:「では、もし可能ならごきげんで働きませんか?さらにできればボランティアではなく、バイトという形で。」

Aさん:「できるならいつでもやるよ。やりたいよ!」

本当にすごい人です。天使です。ちなみにAさんの余暇(楽しみ・趣味と聞きました)はボランティアや働くことだそうです。

僕はすぐ上司にお願いしに行きました。そして上司から企画書を書いてとの指令がありました。

Aさんが考える自分らしさ・・・「誰かが喜ぶ為に働く存在」を再獲得するために企画書を練ろうと心に決めた。