2011年9月23日金曜日

価値のある葛藤

先日の僕と利用者Sさんの言葉

「いきがいや目標をもって生きたほうがいいのはわかってる。でも、そんなに簡単にはいきがいなんて見つけられない。目標って言うけど何を目標にしていいのか今、考えられない。」

「ある本に訓練のための人生ではいけないと書いてあった。それはわかるけど、納得できないところもある。身体が良くなることを求めてはいけないの?」




Sさんがうちに通い始めて半年ちょい。初期評価時に行ったCOPMでSさんは「料理・洗濯・掃除」を挙げた。

料理・洗濯・掃除を選択した理由は、Sさんの介護のために仕事を辞め帰沖した娘さんの為。娘さんに自由な時間を与えたい母親としての想いからだった。

その後AMPSを行い、課題を明確にしたうえで介入していった。

Sさんは自宅からもチャレンジするようになり、目標のうち大体のことはご自分で行えるようになっていた。

それに伴って、歩行の安定性が高まったり屈みこむ動作が安定するなど身体機能の改善もしていった。

このような流れの中でSさんから話された、冒頭の言葉だった。

僕は、Sさんと当初の目標を振り返りながら、身体機能の改善を求めることは当然で悪いことだとはおもってないこと、しかしながら完治しない中でずっと機能訓練中心の生活をしていくことが幸せと言えるかどうかということ、健康とはどういう状態なのかということなどを話していった。

Sさんは涙しながら自分の考えを語った。そして語ることで自分の考えを再構築していった。

最終的に、目標は概ね達成されてきていることを確認した。

そして、将来パソコンを教えるボランティアをして人の役に立ちたいという目標を明確にしてSさんとの話は終わった。

多くの当事者の方はきっとSさんのように、いきがいや目標を持った人生が良いと理解している自分と身体機能の改善にこだわりたい自分とで葛藤を繰り返しながら答えを見つけていかれるのだろう。それは大変でつらいことだと思う。でもきっとそれはSさんにとって価値のある葛藤なのではないのだろうか。僕にはまだまだわからないが、会話の後、少し晴れ晴れとした表情のSさんを見てそんなことを思った。

そして、再評価を行う時期が遅かったことと、目標を定期的に確認することを怠っていた僕の臨床がSさんを悩ませた原因の1つであることに反省。すいません。

本当に色々なことを学ばせていただけるSさんに感謝。全ての利用者さんに感謝。



2011年9月16日金曜日

小さな抵抗

送迎でよく行く入所施設。

そこから通われている利用者Aさん。

Aさんをお迎えにあがると、いつも装着されている車椅子用のズレ防止ベルト。

周りを見渡すと、介護度が高いと推察される方のほとんどはAさんと同じようにベルトをされている。

Aさんは確かに骨盤が後傾しており一見ズレ落ちそうに見えるが、クッション等で落ちないようになっている。

時々、姿勢を直すことが必要なものの、当施設でAさんが車椅子からズレ落ちそうになったところを見たことがない。

少なくともAさんにこのベルトは必要ない。

この入所施設の介護スタッフの方が悪いわけではない。きっと忙しい中頑張っていると思う。そう思いたい・・・・・。

だからといってこのままで良いわけではない。いや!絶対ダメだ!


僕の出来る小さな抵抗は、朝その施設のスタッフの前でAさんのベルトを外すこと・・・。スタッフが外していることに気付き、話しかけてくれるのを期待して・・・・・。


本当に小さな抵抗、小さな力、小さな人間だ。


僕に出来ることはなんだろう・・・。

勉強会を継続して行っていくことだろうか?もっとやれることがあるのだろうか?


出来ることからやろう。そしてもっと考えよう・・・。

2011年9月8日木曜日

質の高いサービスを提供する為に鍵となること

先日、入所されているSさんのところにスタッフの方と一緒に行った。

Sさんはいつもの笑顔で優しく僕達を迎えてくれた。

一緒に行ったスタッフの方は、かなり久しぶりに会ったということでSさんも大喜びだった。

色々と話をしていく中で、僕はSさんに現在の楽しみは何かを聞いてみた。

Sさんは「もうこの年だから何も楽しいことはないよ・・・。あんたたちが来てくれる時だけが楽しい。」と話された。

いつもSさんは自室でテレビを見たり、決められた時間に食堂でご飯やおやつを食べたりしているそうだ。リハビリといえば、歩行器で歩く練習をしているらしい。

この施設は新しく清潔で、職員の対応も丁寧で素晴らしいと思う。でも、それだけではクライエントが満足した生活を獲得することはできない。

この施設はイベント等もたくさん行っていると思う。きっとSさんもイベントの時は楽しんでいると思う。しかし、Sさんの生活満足度を高めることはできていない。

なぜか・・・。

Sさんは誰かの為に何かをすることに価値を置いている方だ。Sさんの生活満足度を高めようと思えば、Sさんの価値を満たす作業が生活の中に溶け込んでいる必要がある。

そう!Sさんにとって意味のある作業が欠如していることが要因なのだ。

質の高いサービスを行う為には、「作業」が鍵を握ると考えている。


ここの施設のセラピストが研究会に参加してくれたらな・・・。

2011年9月6日火曜日

作業的公正の障壁(サーフィン後編)


1回海へ行った後、彼から「1人暮らしがしたい」というニーズが聞かれた。きっと海へ行くことによって欲求が少し満たされ、自分の生活へ目が向けられるようになったのだと思う。

そして、彼と話し合い、彼が1人暮らしに必要だと考えている「洗濯・掃除・買い物・料理」を練習していった。同時に、ケアマネと連携して1人暮らしの物件を探していった。


彼の1人暮らしへの想いが強いことをケアマネは知り動いてくれた。その結果、まず叔父さんとの同居生活を始めることとなった。


そうこうしているうちに、彼が発症してから1年が経とうとしていた。彼は1年経つ日に発症した海へもう一度行くと決めていた。そのことを定期受診している自宅から近所のDrに話をしたところ、Drは海洋少年団でボランティアをしていることもあり、彼を海に誘ってくれた。


そして2度目の海へ。Drと彼を海へ連れて行ってくれるマリンスポーツのインストラクターのご好意で僕も同行さしてもらった。(それを許してくれたスタッフにも感謝。)


彼と僕はインストラクターの見守る中、一緒に綺麗な海をシュノーケリングした。彼が楽しそうに泳いでいた姿、海ヘビを見て驚いていた姿が忘れられない。


インストラクターの方も驚くほど、彼は上手に片手・片足で海を泳いでいた。

Drとインストラクターに今後も参加することの承諾を得て彼と家路に着いた。

彼の1人暮らしに対する想い、サーフィンに対する想いが強くなっていく中で、周りの環境も徐々に整っていった。


彼は生活保護を受けていることと年齢が60代前半ということもあって、介護保険よりも自立支援法が優先されることとなりごきげんは卒業されたが、その後も保健所の方と役場の福祉課の方のご好意で僕は関わらしてもらっていた。


ごきげんを卒業されるときに、役場の方が保健所の方と僕を呼んで、彼の今後について情報共有する場を設けてくれた。その時に僕は彼にとってサーフィンとは唯一過去の自分に戻る方法であること、サーフィンに向かうことによって1人暮らしなど自分の生活に目が向けられるようになったこと、それは今後、機能訓練を続けることよりも効果的で価値があることなどを伝えた。どのくらい他職種の方に伝わるのか、自分が伝えられるか不安だったが、お2人はすごく真剣に納得しながら聴いてくれた。


ここで話し合われた方向性は、「彼がサーフィンができる(海に関わる)生活を取り戻す為に、1人暮らしや海へ関わる機会を支援する」ということになった。


彼の住居が決まり、1人暮らしが始まりそうな頃、役場の方から話があった。「出来れば彼が定期的に海へいける機会を作りたい。海へ行ったらDrやインストラクターの方がやってくれるからいいものの、海まで行く手段がない。自立支援法の移動支援で余暇に対して行った前例がないから上司には難しいと言われた。」とのことだった。


役場の方と僕は話を進めていく中で、前例がないなら作ってしまおう!という結論に至った。


僕が提出した資料には、サーフィンによって彼が自分の生活に目を向けられるようになったこと、彼が彼らしい生活・人生を取り戻す為にはサーフィンが唯一の作業であること、サーフィンという目標に取り組んでいくことで、彼は主体的に動くようになったこと、海で動くことは水治療法的な効果があり、身体機能面へのアプローチにもなること(ご協力いただいた学院のT先生に感謝します)などを記載した。その文章を持って役場の方が上司に必死でかけあってくれた。



その結果、沖縄県初の自立支援法で余暇支援(移動支援)を行えることとなった。(全国的にも珍しいそうだ)さらに役所の方は、利益にならない仕事だと理解しながらも協力してくれる事業所を探し出してきてくれた。(この移動支援は、彼を海まで連れて行った後、他の業務を行い、彼が海からあがる頃に迎えに行って自宅まで送り届けるという事業所側にとっては非効率的な内容である。)


現在、彼は1人暮らしをしながら、月2回海へ行き、海洋少年団の方達に見守られながら楽しんでいる。



彼は最初からずっとサーフィンを諦めなかった。

諦めない彼の周りには協力者がどんどん現れていった。

諦めなければ必ず手段は見つかる。

そして、作業的公正な社会を想って変革しようと立ち上がる人たちは必ずいる。

そのことを確信させてもらった事例だった。





作業的公正な社会を達成する為の真の障壁は、医学モデルにどっぷり浸かったなのだ。