AさんはALSを患い、症状が急激に進行していく中でもずっと通所リハに通い続けてくれました。
Aさんは以前に書いた「義妹の為のアルバム作り」をした事例の義妹の方です。
AさんはALSが初期段階の頃からずっと通ってくださっていました。
何をするにもお姉さんと一緒でした。
Aさんはシングルマザーなのですが、娘を育てるのもお姉さんと一緒にされ、3人は本当に仲の良い家族でした。
元々お姉さんと一緒に商店をされており、仕事中心の生活をされていた方なので、通所リハでお姉さんと一緒に商店を開いてもらったりなど、様々なことをしました。
でも、病気が進行して1日の大半をベッドで過ごし、移動はリクライニング車椅子、常時酸素が必要な状態となりました。
娘さんもお姉さんも延命措置を望んでおられなかったので、Aさんの命はそんなに長くないことはわかっていました。
今、僕らには何が出来るだろうとずっと考えていました。
今しか出来ない作業があるのではないかとずっと考えていました。
そして今までAさんや、お姉さんと話したことを思い返していました。
すると、「今まで仕事ばっかりしてきたから趣味はないけど、楽しかった想い出は家族や婦人会で行った温泉旅行だよ。」と以前話されていたのを思い出しました。
僕はAさんに「もう一度、家族で温泉に行きませんか?」と聞きました。
Aさんは最初、わずかにですが首を横に振って無理だという意思を示していましたが、「もし行けるのなら行きたいと思いますか?」と聞くと、小さな声で「行きたい」と答えられました。
一言話すだけでも苦しいはずなのに、Aさんは反応してくれました。
僕は絶対に成し遂げようと心に誓いました。
ただ、Aさんの体力では温泉に浸かることは難しいということと、介助者の人数、環境が整った施設がないことから、足湯にしました。Aさんにも説明し、了承を得ました。
次に通所リハのスタッフにプロジェクトを立ち上げることを宣言し、プロジェクトを進めて行きました。
詳細には語りませんが様々な障壁がありました・・・・・仕事で唯一、号泣しました。(今ではあの障壁のおかげで、話し合いの進め方を学べたので感謝しています。)
色々なことがありながら、お姉さん、娘さん、通所リハ全スタッフの力を借りて足湯プロジェクトを実行することができました。
かなり風が強い日でしたが、Aさんもお姉さんも娘さんもスタッフも皆笑顔でした。普段しんどさなどからほとんど無表情なAさんの笑顔が忘れられません。
Aさんは亡くなる数日前まで通ってくれました。
Aさんが亡くなった後、娘さんが「すごくきつそうにしていた時にもここへは必ず行くと言っていました。亡くなる時大きく息を吸って笑顔で逝きました。ありがとう。」と伝えに来てくれました。
作業は一期一会。
「今しかできない作業」があると思います。
そこに焦点を当て、介入するのは作業療法士の役割だと思います!
作業療法士の役割。この責任の重さを感じながらクライエントと関わり続けます。
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