ブログのタイトル通り僕は忘れっぽいので、忘れない為にも臨床のことを書き綴っていこうと思います。
Aさんとの出逢いは僕の元職場の通所リハでした。
Aさんは義妹と共に2人で暮らしており、一緒に通所リハに通っていました。
Aさんが嫁いでからずっと2人は一緒で、本当の姉妹のようでした。
仕事は一家で商店を営んでいました。Aさんの旦那さんが亡くなってからもずっと2人で店を守ってきました。
年齢の関係で店を閉め、これから義妹と共に余生を楽しもうとしている矢先、義妹が進行性の難病と診断されました。自分も整形疾患を抱えながらも少しずつ機能低下していく妹の介護をしていました。
2人が通所リハを利用されて1年くらい経った頃、Aさんは脳血管障害を患い右片麻痺となりました。
麻痺は軽度だったのですが、それまでAさんが役割(Aさんにとっていきがいでした)としてもっていた義妹の介護が出来なくなりました。
毎朝義妹の為に水を飲ませてあげることはかろうじて行っていましたが、それまで義妹の身辺動作の大半を介助していたAさんには、水を飲ませるということだけでは役割として満足できませんでした。
僕はAさんと話し、義妹の為の料理作りを練習していましたが、そのうちに義妹の状態はどんどん悪化していきました。
日に日に固形のものを食べられなくなる義妹を目の当たりにして、Aさんは自分の役割は無くなったと感じていました。
Aさんは僕に「もう義妹はご飯も食べられなくなってる。私は何もできない。毎日悩んで眠れない。」と話されました。
僕はAさんにしかできないことがあると思いながらも、何も提案できずAさんと共に悩みました。
師匠やスタッフに相談していく中で、義妹の為に想い出のアルバム作りをしてはどうかという案がうまれました。誰かの為に何かをしてあげるのがいきがいな、Aさんらしさを考えた上での提案でした。
Aさんに話すと「それはいいね!やろう!」と言ってくれたので、Aさんと姪っ子さんにお願いして昔の写真を持ってきてもらいました。
Aさんは「きっと義妹が喜ぶはずよ」と話しながら、義妹の為に一生懸命アルバムを作成しました。
義妹の容態は悪化し、ゆっくり2人でアルバムを眺めることは出来ませんでしたが、Aさんは「喜んでくれた」と話されていました。
Aさんに再評価でとったOSAーⅡの結果、作業同一性、作業有能性共に改善していました。
作業の形は変化しても作業の意味が満たされているならば、自分らしさを感じられるのだと教わった事例でした。
何の為に、誰の為にやりたいのかを共有する中で何をやるのかは見えてくるのだと思います。琉球OTさん、tomoriさんのブログを拝見して尚更強く思いました。
0 件のコメント:
コメントを投稿