2011年5月31日火曜日

後輩育成

後輩育成と自分の勉強の為、毎月第1金曜日に事例を通したクリニカルリーズニングの勉強会をすることに決定した。

その第2回目が今週の金曜日にある。事例を後輩PTに出してもらうので、その打ち合わせを業務終了後に行っていた。

事例は90歳代中盤の女性。脳に病変を抱えている方である。全身の筋力が低下し、両手は失調症状が見られた。つまみ動作が出来なかった。

初期評価時、事例のニードは1人でなんでも出来るようになりたい。両手が使えるようになりたい。であり、ほぼ手の機能に固執されていた。

PTは生活で困っていることや、手を使えるようになったら何がしたいかを聞いても応えは手の機能のことだったと話していた。そして「出来ない」という言葉をよく話していた。

PTは初期評価の後、手の機能は改善すると考え、手の機能訓練を行った。その結果、事例は手を徐々に使えるようになっていった。

その後、PTは事例から「近所に住む娘が毎日横で寝て、トイレの介助をしていること。夜間帯のトイレの回数が多いこと。下衣の上げ下げを出来るようになったらトイレが1人で出来るようになると考えていること。」などの語りを引き出していった。

そして、トイレ動作に必要な立位での上肢の操作などを練習し、現在では事例1人でトイレをしており、娘さんは泊まりにこなくても良くなっている。

事例は現在出来るようになったことをたくさん話すようになっている。

ただ、やりたいことについて尋ねると「今まで、やりたいことを全てやりつくしたからもうやりたいことはない。」と話されているそうだ。PTは今後の介入に悩んでいた。

簡単すぎるが、ざっとこんな感じだ。

まず、僕がPTに聞いたのが「なぜ事例は手に固執したのだろうか?」ということだった。もちろん急性期、回復期と機能面に焦点を当てられ続けていたのであれば致し方ないかと思うが、それ以外に理由を探ってみる必要を感じた。全身ではなく手に固執する理由を。

そこで、事例の生活歴・作業歴を聞いていった。女手ひとつで子ども二人と義母を養ってきたことや旅行・琉舞・老人会の会長をやっていたことなど様々なことが挙がってきた。

特に琉舞は老人会でも長年やっていたようだ。

ここまで聞いたところで、最初に手に対するアプローチをした理由について紐解いてみよう!と話し、PTと共に考えていった。

すると生活歴から、事例は病気になるまで何でも自分ひとりで行ってきた。誰にも頼らずに。家庭では母と同時に夫の役割も持っていたと思う(少し頑固さも持っている)。そんな事例は過去の自分と対比することによって、介助を受けている自分、ひとりで出来なくなった自分を「自分のようではない。」と感じていたのかもしれない。そして、事例は誰の介助も受けないですむ為には手を治すしかないと信じていたのだと考える。だから、身体ではなく、手にこだわったのだろう。

まず、手の機能にとらわれている状態から脱却する為に、手に対する想いを満たす必要があった。そうすることで、手の機能から生活全般に視点が向き始めるのではないかと考えた。だから、PTは手の機能訓練を選択した。

予想通り、手の機能が改善していく中で、事例も生活全般(作業)に目が向けられるようになった。夜間帯のトイレに関して。

ひとりで何でも出来ることに自分らしさを感じると予測される事例にとって、夜中ずっと付き添われていることは辛かっただろうし、娘さんにも気を遣ったことだろう。

この後もPTはしっかり事例と向き合い、トイレ動作の獲得に至った。現在では、ほとんど全ての活動をひとりで行っている。そして、事例からは「出来るようになったこと」というポジティブな語りが聴かれている。

このように、初期評価から現在に至るまでに大きく2回、クリニカルリーズニングを行っていた。PTはこんな風に考えたことはないと話していた。きっと無意識に知り得た情報を整理し、解釈して介入を行っていた。それはきっと勘や知識からくるものだろう。このPTは一生懸命だし、技術もあるので今回上手くいったのだろう。しかし、他の方ではどうだろうか?上手くいくかもしれないし、そうでないかもしれない。不確定なのだ。

だから僕は、いつもなんとなく、無意識にやっていることを振り返って目に見える形にすることで、ひとを包括的に捉える視点がつき、より適切な介入が出来る為の情報を聴くことが出来るようになると思う。また、後輩にそうなって欲しいと思う。

僕の狙い通りに後輩PTは介入を振り返り、しっかり考えられるようになってきている。やはりチャレンジしてよかった。

書きすぎてよくわからなくなったが、機能訓練やトイレ動作訓練は手段であり、目的はもっと違ったところにあるということを後輩に伝えたい。

この先の事例へのアプローチを考えるのも楽しそうだ。

2011年5月30日月曜日

旅立つ君へ

昨日、担当していた実習生が無事に実習を終えた。台風が直撃した日だった。

A&Wでの送別会の帰り、車の中で作業療法と担当ケースに関して語った。

その時、目頭が熱くなった理由を忘れないで欲しい。

涙が込み上げてくるほど、一生懸命考え、悩んだ日々を忘れないで欲しい。

あなたの成長を想い、たくさんのアドバイスをくれた利用者さんを忘れないで欲しい。

今回の実習で出来なかったこと・・・たくさんあるかもしれない。でも、出来たことがあることも忘れないで欲しい。

担当ケースからいただいた、「成長した」という言葉を忘れないで欲しい。

出来なかったところは、今後努力して出来るようになればいい。出来ないことを知ることが成長の第一歩だから。

僕は、あなたの「ラブ注入」の勇気と感謝の気持ちを忘れない。

素敵な作業療法士になることを願っています。

2011年5月26日木曜日

元気の源

今日は、午前中師匠のデイサービスを立ち上げる為の話し合いをして、ほんの少しだけ講義のお手伝いをした後、昼から職場の先輩夫婦と入院や入所している利用者さんを訪ねてまわった。

まずは、同じ病院に入院されている3名の利用者さんに会いに行った。

転院されたばかりで疲れているだろうに、起き上がって歩くところを見せてくれる方。起き上がったり話したりは出来ないが、渾身の力で手を握り締めてくれる方。これからリハビリだと言って、車椅子に乗って楽しそうに話される方。皆さんごきげんに戻ることを楽しみにされていた。
僕達も楽しみだ。

次に行ったのは、すぐ近くの施設に入所されているAさん。

僕はしょっちゅう行っているので、また来たの?という感じだったが、先輩夫婦は入所されてから初だったようで、とても驚きそしてとても喜ばれていた。

その空間は笑い声に満たされていて、とても心地よかった。

Aさんは「あんたたちが来て、病気が治ったみたいさ。」と話されていた。

その時、先輩夫婦が「なんだか私達が元気をもらっているね。」と話された。僕も同じことを考えていた。

ひとの繋がりの力を感じ、相互交流していることを実感した。

次は、少し離れたところに入所されているBさんのところに行った。

この方は僕が入職当時から担当させてもらっていた方で、僕に作業療法士の基礎を学ばせてくれた方だ。

すごく久しぶりだったが、いつもの笑顔といつものエッチなトークで迎えてくれた。

入所してごきげんに通えなくなってもう2.3年経つだろうか・・・。いまでもごきげんやスタッフを想ってくれている。そんなBさんに僕達3人は元気をもらった。また、僕達の仕事に対しての誇りをもらった。

僕は、初心を忘れてしまいそうなときや、元気が欲しいときにAさんやBさんを訪ねる。

仕事のやりがい、誇り、喜び、全て利用者さんがもたらしてくれると僕は思っている。

いつも支えてくれる利用者さんに感謝。

僕に出来る恩返しをしたい。真摯に向き合い続けたい。

先輩として・・・

今、後輩が2つの選択肢で迷っている。混乱している。

現在の職場に留まるべきか、師匠の立ち上げるデイサービスに行くべきか・・・。

どちらが正しく、どちらが間違っているということではない。

自分自身がどうしたいか?それだけだ。しかし、それがなんとも難しい・・・。

僕も少し前に同じ状況に陥った。

すごく自分と向き合うことは難しく、苦しいものだったが「僕にとっての幸せとは?」を考え、今の職場に留まった。

選択する理由を「外」(例えば職場の後輩がまだ成長していないから。とか、職場の上司に止められたからなど)においてはいけない。「中」(自分がどうしたいのか?今後何がしたいのか?など)において考えるんだ。

先輩OTからのアドバイス。

今回、そのまま後輩に伝えた。また、それには決断をする覚悟が必要で、自分自身が何をしたいのかを、とことん考える必要性があることを伝えた。

答えを出すのは後輩自身でなければならない。僕はアドバイスをしたり、後輩の頭の中を一緒に整理していくことしかできない。

いいアドバイスが出来る先輩になりたい・・・。少なくとも後輩を守れる先輩でいたい・・・。

頑張ります。

2011年5月19日木曜日

ぱいかじ

先週結婚した親友が、新婚旅行で沖縄に来ていたので、夕食を一緒に食べた。

石垣島や竹富島に行ってきた話。海好きな親友が海に入り、泳いでいるのを奥さんは見守っていた話。色々な話を聴けて、なんだか心が、も・・・ほっこりした。幸せをおすそ分けしてもらった。

素敵な夫婦だなー♪

一緒に行ったお店は、「ぱいかじ」という沖縄の古民家のような居酒屋を選んだ。

ぱいかじとは沖縄の方言であり、南風のことを言う。

幸せな二人にもっと幸せな暖かい風が届きますように・・・。

さー!子どもの名前を考えよう!

2011年5月18日水曜日

生きる

「生きる」
谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
こもれびがまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いま いまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥はなばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

先日、親友07s君が「人は生きることではなく、生きていくことが大切だ」と話していた。僕はそのときふと「生きる」という詩を思い浮かべていた。

確かに!改めて読み返してみて気づく。

谷川俊太郎の詩は「生きる」ことを言っている。しかし、これ自体は健康や幸せのことではない。

健康や幸せは、「その人にとって大切なことができること」ということが大きく関わっていると僕は考えている。そう!これが「作業」と呼ばれているものであり、人によって違うものだ。

作業をすること。それは自己実現に繋がること。すなわち健康に繋がることだと思っている。

だから、07s君の言っているように生きていくこと(作業の連続)が大切だと思う。

だから谷川さんに「あなたにとって、手をつなぐ意味は何ですか?」と聴いてみたい。全ての作業の意味を聴いてみたい。そうすると、どう生きたいかが、見えてくるから。

あなたにとって大切なことは何ですか?それはなぜ大切ですか?

2011年5月16日月曜日

言葉に出来ない。



5月14日・・・忘れられない日となった。






大好きな幼馴染の結婚式。






中学校から僕らはずっと一緒にいた。ゲイと間違われるくらいに・・・。






小学校の登山。中学校の昼休憩の廊下。陸上競技会。T君カップルを追いかけた死ね死ね団。高校の昼食。カブの二人乗り。遠足。大学の夏休みに必ず行ったバッティングセンター。数々の隠し事・・・






色々なことが頭に浮かんできた。






言いたいことがたくさんありすぎて、なんと言葉をかけて良いのかわからなかった。言葉に出来たのは、たった一言・・・「おめでとう」。






素敵な二人の後姿に言葉無く、ただただ「おめでとう」。






ブログでもうまく言葉に出来ないな。






ただ言えるのは、新しい命と共に家族三人が幸せであれば良いということ。


〇ーメン!

2011年5月9日月曜日

アンパンマン・・・・・




先日、送迎時にある利用者さんがパンをくれた。








おもむろに差し出されたパンを見るとパンの名前は「アンパンマン」。








パンもあの有名なキャラクターの顔になっている。








僕も困った動物キャラクター、例えばカバオ君のようにアンパンマンの顔を食べさせていただこうと、利用者さん全員を送り終えた後に袋を開けて一口ほおばった。








元気がもらえると同時に、アンパンマンは「力がでないよ~」と言うだろうと想像し、ニンマリしながら・・・。








「んっ!?」








このクリーミーな食感、光沢のある黒い物体、そしてこの味はまさか・・・・・・・!








チョコパンじゃーーーーーーーーーーん!!!








カバオ君・・・君が食べたのはアンパンではないんだよ・・・。それはね、チョコパンって言うんだよ。








あっ!そちらの世界ではチョコパンをアンパンというのかもしれないね。








文化って大事だね。








2011年5月8日日曜日

チャレンジ



沖縄で師匠が小規模デイサービスを立ち上げる。


そのデイサービスのお手伝いをしながら、自分の勉強もさせていただいている。


昨日はデイサービスを一緒に考えるメンバーが集まり、ミーティングを行いながら師匠手作りのカツカレーをいただいた。


美味!やっぱり手作りはおいしいなー!


師匠がやろうとしているデイサービス「いきがいのまちデイサービス」はひとりひとりのやりたいこと(作業ニーズ)に一個一個応えて、利用者さんの自己実現を支援しようという理想的なデイサービスだ。


このようなキャッチフレーズはたくさんのデイサービスが掲げていると思う。しかし、本当にひとりひとりの作業ニーズに焦点を当て、取り組んでいるデイサービスはあるだろうか?僕は見たことが無い。


それだけに、周囲に認めてもらうには結果を重ねていくことが大切になる。周囲にこのデイサービスの良さを知ってもらうには少し時間がかかるかもしれない。


しかし、利用者さんの為、地域の為、日本の為には絶対に必要なところだと思う。僕が障がいをおった時にはただただレクリエーションや機能訓練を繰り返すデイサービスには行きたくない。僕の作業ニーズを聴いてくれて僕らしさや生き様をしっかり考えてくれる場所に行きたい。親もそういう場所に行かせたいと思う。


この素敵なチャレンジに参加できることが幸せだ。


ちなみに今日のカレーは勝つカレー・・・。

2011年5月2日月曜日

誓い

先日利用者さんの告別式に行ってきた。

飾られていた写真は優しい笑顔だった・・・。

あるスタッフが通夜に行ったとき、家族から聴いたこと。

「母はごきげんに行き始めてから笑顔を取り戻しました。ありがとう。」

この方は、ユニークな性格の持ち主だった。それだけに問題がある利用者としてたくさんの施設を断られ、最終的にごきげんに辿り着いた。

断った施設はこの方の個性をどのように捉えたのだろう。

施設の方針に従わない利用者は悪い利用者?施設の方針に従う利用者は良い利用者?

全てを受身的に過ごす利用者が良い利用者なのか?

それでは、ほとんどの施設が掲げているその方らしい人生を支援するとは何なのか?

その方の希望を聴いただろうか?

その方が行われる暴言や拒否という作業の意味を聴いたことがあるだろうか?

クライエントの作業に焦点を当てることで、視点が変わる。クライエントの見え方が変わる。

そんな見方ができる職場を誇りに思う。

そして、ごきげんのような施設をたくさん増やすことをこの方に誓った。